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動画で振り返るエルコンドルパサーの歴史 ギャロップレーサーのBGMが当たり前ですがピッタリですw 現役時代 2-3歳時(1997年・1998年) デビューは1997年11月8日の東京競馬場、ダート1600mの新馬戦であった。スタートは悪く、出遅れるものの、直線に入ると1頭だけ次元の違う脚を見せ、最後は7馬身差の圧勝だった。 年が明けて3歳になった1998年1月11日、2戦目の中山競馬場500万条件レースも9馬身差で圧勝。この頃から同期の外国産馬で後に3強と呼ばれたグラスワンダーに対抗できる大物として認識されるようになる。 これまでダートコースしか走っていなかったため、陣営は芝コースを経験させるべく共同通信杯4歳ステークスに出走させるが、雪のため東京競馬場芝コースが使えず、皮肉にもダートに変更となってしまった。レースではハイパーナカヤマが食い下がったが、初めて鞭を入れられるときっちり伸び、力の違いを見せ付け勝利。 2ヶ月後にはニュージーランドトロフィー4歳ステークスに出走、これが初めての芝のレースで朝日杯3歳ステークス2着のマイネルラヴなどメンバーもそれなりに揃っていたが、出遅れをものともせず一番人気に応え圧勝した。 出遅れ最後方からのごぼう抜き。ディープインパクトもびっくりのダートで鬼脚を使います。 4戦無傷で迎えた春の大目標であるNHKマイルカップにはトキオパーフェクトやロードアックスなど同馬のほか3頭の無敗馬も駒を進めてきたが、圧倒的一番人気に支持される。レースは中団を進み、3角から進出を開始すると外を回って早めに抜け出し、最後にやはり無敗馬であったシンコウエドワードが詰め寄ってくるも余裕の勝利。無傷の5連勝で初のGIタイトルを手中にした。二ノ宮調教師としても開業10年目にして初のGI勝利であった。 秋は第49回毎日王冠から始動。このレースには稀有の逃げ馬サイレンススズカと、骨折でNHKマイルカップには出走できなかったグラスワンダーが出走してきた。 当時外国産馬には天皇賞への出走権がなく、これが最初で最後の対決になるかもしれないと(事実そうなってしまった)当日の東京競馬場にはGIIとしては異例の13万人が詰めかけ、異様な盛り上がりを見せていた。 奇しくもグラスワンダー、エルコンドルパサー共に的場均(現調教師)がデビュー以来騎乗しており、同騎手がどちらかを選択するかが注目された。結局グラスワンダーに騎乗した。 的場によると、当初からエルコンドルパサーの騎乗はグラスワンダーが復帰するまでということは決まっており、調教師の二ノ宮も理解していたという。しかしこれは苦渋の選択であり、『体がふたつあったら、どちらにも騎乗したかった』と語っている(『夢無限』より)。 このためエルコンドルパサー陣営は蛯名正義に騎乗を依頼、このコンビは引退まで続くことになる。レースは大方の予想通り、サイレンススズカがハイペースで逃げ、エルコンドルパサーはその後ろでサイレンススズカをマークする形でレースは進んでいった。その後、直線でサイレンススズカに迫るものの、直線で再び加速し始めたサイレンススズカを捉えられず、最後は着差を2馬身半差の2着と完敗。 騎乗していた蛯名正義は「影さえも踏めなかった」とコメントしている。なお、3強の一頭、グラスワンダーは強引なレース運びから直線は完全に失速し5着に敗れている。 毎日王冠後、マイルチャンピオンシップとジャパンカップのどちらに出走するかということで注目された。その際、馬主が調教師に「ジャパンカップに出走したい。マイルチャンピオンシップなら勝てるかもしれないのに、負けに行くようで悪いね」と言ったところ、調教師の二ノ宮からは「いや、どちらでも勝てますよ」と返ってきたとDVDでは語られている。 こうしてジャパンカップに出走。当時は血統背景や戦歴からマイラーという見方が一般的で、2400mという距離に対する不安から3番人気に留まったものの、レースでは抜群のスタートから4番手を進み、直線持ったまま先頭に立つという力強い競馬で2着エアグルーヴに2馬身半差の快勝を収めた。 これはジャパンカップにおける最大着差(当時)であり、また日本の3歳馬がジャパンカップを制するのも初めてである。同期の日本ダービー優勝馬スペシャルウィークが3着だったため、前走でグラスワンダーに先着したこともあり、世代最強馬との評価を得た。年度代表馬は逃すものの、この年の二冠馬セイウンスカイを抑えこの年の最優秀4歳牡馬に選ばれた。 なお、この最優秀4歳牡馬選出について、皐月賞、菊花賞という伝統と権威あるクラシック二冠を制したセイウンスカイを差し置いて、エルコンドルパサーが選出されるとは如何なものかという声もあった。これに関するエピソードとして、杉本清は「これではクラシックとは一体何なのかと言われてしまう」とドリーム競馬内で嘆いた。 スペシャルウィーク、セイウンスカイ、グラスワンダー、サイレンススズカ、ステイゴールド、エアグルーヴ、タイキシャトルなどが現役。まれに見る黄金期です。 4歳時(1999年) ジャパンカップを優勝したこと、またサイレンススズカ、タイキシャトルという1世代上の実力馬がいなくなったことで、国内での勝負付けは済んだと判断した陣営は海外遠征を決断。現地ではトニー・クラウト厩舎が預かることになったが、馬が環境の変化に戸惑うことが無いように飲料水、食べ物(飼葉)まで共にコンテナで運んだという。 なお、エルコンドルパサーは4歳になりフランスに向け輸送された後、凱旋門賞を戦い終えるまで、一度として日本に戻されること無く現地で調教が施されている。帯同馬として、同じく二ノ宮厩舎所属で、同じく渡邊オーナーの所有馬だったハッピーウッドマン(父Woodman)が同行した。 初戦のイスパーン賞ではクロコルージュに直線交わされ4分の3馬身差で敗れるが陣営には納得の競馬であった。次走はブリガディアジェラードステークスかサンクルー大賞のどちらかに出走という予定であったが、サンクルー大賞に出走した。 サンクルー大賞は前年の凱旋門賞馬サガミックスや、仏愛ダービー馬でヨーロッパ年度代表馬のドリームウェル、前年のバーデン大賞馬タイガーヒルなど欧州の一線級の古馬が揃った。61kgという近年日本の平地競走では殆ど見かけなくなった重い斤量を背負っての戦いとなった。 レースは縦長の隊列を4番手で追走、直線では早目先頭に立ったタイガーヒルに持ったままで並びかけ、最後は2馬身半の差をつけ勝利した。ヨーロッパのチャンピオンディスタンスのG1での初の日本調教馬による優勝となった。現地メディアのParis Turfはこの勝利を名馬シーバード(1965年第57回同レースに勝利)になぞらえ、ヨーロッパの競馬界でも凱旋門賞の有力候補と認識されるようになる。 なおレース中、ドリームウェルに蹴られるアクシデントがあり、それが原因でフレグモーネを発症し夏の調整に少なからず影響を与えた。同馬はソエや疾病とは無縁な健康な馬であり、二ノ宮調教師は順調に予定を消化できるのが強みのひとつと語っているが、これが唯一の例外といえよう。 2ヶ月休養した後の次走フォワ賞はサガミックスが直前に回避し、3頭立てという日本ではまず見かけない少頭数となった。レースでは押し出される格好で先頭に立ち他の2頭(ボルジアと、一度敗れているクロコルージュ)にマークされるという状況で、直線ではインを突いたボルジアが一旦先頭に立つも差し返して勝利し、いよいよ大目標である凱旋門賞に向かう。なお同日に同じロンシャン競馬場で行われた3歳限定のニエル賞ではライバルと見られていたモンジューが33秒台の末脚を繰り出して勝利している。 凱旋門賞ではその年のジョッケクルブ賞、アイリッシュダービーを制し、欧州3歳最強馬と評価されていたモンジュー、当年のキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス及びアイリッシュチャンピオンステークスをそれぞれ圧勝していた欧州古馬チャンピオンであるデイラミが出走した。 当日レースの舞台となるロンシャン競馬場はペネトロメーター5.1というレース史上類を見ないほど大量に水分を含んだ状態の不良馬場だったため、道悪を苦としないエルコンドルパサーとモンジューの一騎打ちというのが戦前の評判であった(優勝候補の一角だったデイラミの陣営は直前まで出走を躊躇していた)。 レースはモンジュー陣営のペースメーカーであるジンギスカンが先頭に立つ予定だったが、ジンギスカンがエルコンドルパサーについていけず、エルコンドルパサーが押し出されるような格好で先頭を進み、エルコンドルパサーをモンジューが後方から見る格好となった。 これが功を奏し、単騎逃げで折り合った同馬は、最後の直線まで脚を溜めながら抜群の手応えでレースを進め、全馬に目標とされながらも直線半ばでは更に後続を突き放した。 モンジューはまだ馬群の中にあり、日本競馬の悲願がついに達成かと思われた。しかし残り200mでようやく馬群をさばいて抜けてきたモンジューが一気に追い込み、ゴール前でついにエルコンドルパサーを捉えた。結局半馬身差でモンジューが優勝、エルコンドルパサーは2着となった。 2着に敗れはしたものの凱旋門賞の旧4歳と旧5歳の斤量差や、3着馬との間につけた6馬身差により、現地メディアから「2頭チャンピオンが存在した」という評価を受けた。日本国内でもシンボリルドルフ、サクラローレルなど歴代の強豪馬が海外遠征でことごとく敗れてきただけに、歴史的快挙と評された(もっとも、この2頭はキャリアの最後に海外挑戦したことや、怪我でまともにレースができなかったこともある。)。 また、日本調教馬による凱旋門賞の最高着順記録は今もエルコンドルパサーが保持している。さらに欧州以外での調教馬による最上位着順でもある。 このレースを最後に引退[2]。奇しくも死闘の相手であるモンジューやタイガーヒル、ボルジアといった顔ぶれが集まったジャパンカップ当日の昼休み「コンドルは飛んで行く」が流れる中、引退式が行われた。 上記のような半年に及ぶ海外遠征での成績が評価され、1999年の年度代表馬にも選ばれたが、この年の国内GIをスペシャルウィークが3勝、またグラスワンダーがこのスペシャルウィークを2度下す形で2勝していたために、両馬を差し置いて国内のレースに一度も出走していないエルコンドルパサーが選ばれるのは不適当ではないかという意見も相次いだ。 また、記者投票の結果、一旦はスペシャルウィークが首位に立ったにも関わらず、審議委員による決定でこれを覆し、エルコンドルパサーを年度代表馬に決定したために、1993年にビワハヤヒデが選ばれた時以上の大論争となった。 顕彰馬の選出においても、当馬とスペシャルウィークは票を二分し、双方が顕彰馬に選出されない状態になっている。 なおエルコンドルパサーの欧州長期キャンペーンはフランスにおいても極めて高い評価を受け、渡邊はその年最も活躍した競馬関係者に贈られるランセル・ゴールド賞を現在に至るまで外国人としてただ1人受賞している。 現地のファンや関係者の間でも、2006年に凱旋門賞だけ出走して日本に帰国したディープインパクトよりも、凱旋門賞に照準を絞り1年がかりで欧州に遠征したエルコンドルパサーの方が認知されていると言われている(Yahoo!コラム参照)。 また生涯で一度も連対を外さなかったが、11戦連続はシンザンの19戦連続に次ぐもので、グレード制導入以降では現在でも最多記録となっている(なお、生涯戦績で連対を外した馬には15戦連続連対のビワハヤヒデや12戦連続連対のタイキシャトルなどがいる)。 特徴 同馬の特徴に挙げられるのがその万能性である。ダートと芝の両方で圧倒的なパフォーマンスを残し、日仏の芝の違いをものともせず、マイルからクラシックディスタンスまで幅広い活躍を見せた。レース中は主に先行し、素早く抜け出すとそのまま後続馬に詰め寄られることなく悠々とゴールすることが多かった。 同馬は軽快なスピードと優れた瞬発力、そして前でも余裕をもって競馬ができる優れたスタミナが備わっており、総合的に非常に高い身体能力を持ち合わせていた。 なお、同馬の誕生には馬主である渡邊隆の思い入れを欠かすことはできない。 渡邊の所有馬でエルコンドルパサーという同名の競走馬が1990年代の前半に存在したことがある(1989年産 父スリルショー・母トウコウボレロ。渡邊隆の父喜八郎の代表所有馬であるノボルトウコウ・プレストウコウ兄弟の甥にあたる)。 こちらは調教中に故障し未出走のまま死亡している。渡邊にとって「エルコンドルパサー」という馬名は思い入れがあるようで、“初代”のエルコンドルパサーが引退した後に「これはと思う馬に出会うことが出来たらその時はまたエルコンドルパサーと名付けたい」と語った。 渡邊は当時外国産馬といえば著名なセールで購入する馬が多かった中、ラフショッドの血を引く肌馬を探し続け、アイルランドはタッターソールの繁殖牝馬セールに出場予定だったサドラーズギャルに注目、苦労してこれを購入した。 そして二年目の種付け相手としてサイヤーデビューシーズンでまだ実績のなかったキングマンボを選び誕生したのがエルコンドルパサーというオーナーブリーダースタイルの馬である。 しかし名馬の多くが誕生から育成までの間に才能を光らせるような何かしらのエピソードを持つのに対して、殆ど目立つ存在ではなかったという。 突出したところがない代わりに手間がかかるようなことも一切ないというのは、現役時の万能性と総合性能の高さに通じるものが伺える。 種牡馬時代 イスパーン賞後に総額18億円のシンジケートが組まれた。渡邊オーナーはサンクルー大賞を勝って凱旋門賞で2着になった後でも(ヨーロッパ遠征の)リスクを引き受けてくれたシンジケート会員のために、シンジケート価格の値上げは行わないとして、シンジケート総額は18億円のまま据え置かれた。 種牡馬生活に入った3年目の2002年7月13日、腸捻転を発症し死亡。同馬が残した血は3世代の産駒だけとなった。 当初、産駒があまり走らず、種牡馬としては失敗の烙印を押されかけた。だが、ラストクロップとなった2003年産のソングオブウインドが菊花賞を優勝、引退後種牡馬入りしたことで父系を残すことができた。また、これに続いてアロンダイトとヴァーミリアンがGI、JpnI競走を勝っている。 (ウィキペディアから抜粋) エルコンドルパサー産駒の重賞ウィナー ビッググラス(根岸S) トウカイトリック(ダイヤモンドS) アイルラヴァゲイン(オーシャンS) アロンダイト(ジャパンカップダート) ソングオブウィンド(菊花賞) ヴァーミリアン(ダート秋3冠) JBCクラシック ジャパンカップダート 東京大賞典 (´ω`)コジーン さて、今週はNHKマイルカップということでエルコンの記事。 日本馬で凱旋門賞を勝つやり方を唯一実行した馬、エルコンドルパサー。 以前にも述べましたが、凱旋門賞が 『過去に一度も欧州馬以外の馬が制覇したことのない』のであれば、 『日本馬から欧州馬に変えてしまえばいい』という発想から、近年類を見ない長期遠征で、馬を欧州仕様のエルコンへと鍛えていったのです。 遠征当初は速歩の輪乗りすらついていけなかったエルコンですが、日本で培った大きなストライドを捨て、脚の回転力を上げたピッチ走法を身に付け、欧州の競馬に対応していきました。 特筆すべきは、渡辺オーナーの妥協を許さない完璧な計画と莫大な遠征費、安いレース賞金などの金銭的なリスクを省みないエルコンへの情熱です。 凱旋門賞を勝てばその種牡馬価値は格段に上がりもちろん金銭に還ってきますが、 上の文にあるようにオーナーは、シンジケートの価格を先に決定してサンクルー勝利後も上げなかったというのがそれをよく表していると思います。 もともと目標を凱旋門賞に定めているのであれば、通常は日本で高いレース賞金で稼ぎつつ、秋に遠征をして凱旋門賞に挑むというのがいわば常識になっています。 なぜ長期遠征を他の馬が行わないのかというと、やはり金銭的負担が莫大だからです。 エルコンドルパサーが凱旋門賞で2着になり、渡辺オーナーの『長期遠征』がフランス競馬界から賞をもらう程の評価をされたにも関わらず、その後全くこれと同じことを実行する馬が出ないのはそのためで、ビジネスライクな馬主では長期遠征は不可能なのです。 先日、『ディープインパクトが凱旋門賞を負けた理由』という記事を書きましたが、 エルコンドルパサーの軌跡を振り返ると、ディープインパクトが負けた理由というのは馬自身の問題よりも、オーナー、調教師に問題があったことがよくわかります。 馬7:人3とはよく言ったものですが、馬の力を生かすも殺すも人間次第なのだと改めて思いました。 |
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●離婚!広末涼子に衝撃の事実!都内ラ.ブホ.テルで・・・。
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裏芸能ス.クープ【動.画】 2008/05/25 23:52 |
顕彰馬 ディープインパクト 99
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エアトゥーレの2008 最新情報 2010/09/16 17:08 |
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